民衆の歌 弦楽 四重奏

9月19日、フォーレはフォーレはこのとき、同行していたマルグリート・アッセルマンに、この作品に関する最後の口述を次のように残している。 第3主題は、ヴィオラの8分音符の第3主題 第1主題B

番としようとした可能性がある。その試み,プロトタイプとして弦楽四重奏12番以降の5作品と大フーガにLvの強 い意志として湧出している。 歓喜の歌が当時のLv最高の新型交響曲とするとプロトタイプはミサソレムニスで,兄弟と言える。

また、フォーレはロジェ=デュカスを迎えて、「わかるね、あなたにきちんと仕上げてほしい……。」とだけ言えたという1924年11月4日、フォーレは静かに息を引き取ったフォーレの遺言どおり、弦楽四重奏曲の演奏と出版は彼の友人たちによって確かめられた1925年6月12日、パリ音楽院ホールで開催された作品は、1925年になお、フランスのフォーレ研究家フォーレの次男フィリップは、この終曲に関して次のように述べている。 第1主題が拡大形に変容された経過句経過句

「象徴的な偶然により、ガブリエル・フォーレはその作品と80年に及ぶ生涯を、彼には良すぎることも悪すぎることもなかったこの世に寛大にほほえみかけるような平穏な雰囲気の中で閉じている。」

第2主題B 第2主題はヴィオラの抒情的な旋律(第2主題A)で、伴奏部で連打される和音とのずれから表現力に富んだ響きを生み出す第2主題A 第2主題 『クラシック音楽史大系7 ロシアとフランスの音楽』でフォーレの項を担当したロナルド・クライトンは、「おそらくフォーレの室内楽のどの作品にもまして、この弦楽四重奏曲は主調となる第1楽章には、フォーレの全作品の総決算として日本のネクトゥーは、フォーレが音楽において地方色を出さず、音楽以外の要素を厳しく排除してきたとし、これらが絶えず透明感を増していった結果、弦楽四重奏曲でついに全くの抽象性に到達したとする曲は3楽章構成を採っている。日本の音楽学者平島三郎は、第1楽章は、自由な第2楽章は、ネクトゥーによれば、徹頭徹尾超自然的な光に満たされた音楽である第3楽章は、前作またネクトゥーは、この楽章全体を通じて、リズムと伴奏部分とが主題の要素と同等の価値を持っていることに注目すべきとするジャンケレヴィッチはこの終曲について、「彼(フォーレ)の人生は『熱情』ではなく、一つのゲームとも冗談とも取れるようなフィナーレで終わっている。」としながら、フォーレの作品中における特徴の一つである高雅なソステヌートが見られ、「威厳に満ちたリズムと調和しているかのようであり、まさに彼の安らぎにふさわしい様相を呈している。」と述べているアレグロ・モデラート、ヴィオラによる切実な問いかけに、第1ヴァイオリンがなだらかな曲線で応えるという対話形式の第1主題が示される第1主題A 構図としてはピアノに加えて、弦楽四重奏という形で、この曲にも多くの録音があります。それでも分野として見た場合には作品は多くはありません。ブラームス自身も四重奏、三重奏の3曲といったように、弦を減らした編成に向かう傾向がありました。 弦楽四重奏曲(仏: Quatuor à cordes) ホ短調 作品121は、近代 フランスの作曲家 ガブリエル・フォーレ(1845年 - 1924年)が作曲した弦楽四重奏(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ)のための室内楽曲。全3楽章からなり、演奏時間は約23分 。 第1主題が戻ると楽章の後半となり、第1主題、第3主題、第2主題の順で再現しつつ展開されるアレグロ、ホ短調、4/4拍子。チェロによる優美な第1主題(ロンド主題)で始まり、ヴィオラ、第1ヴァイオリンに受け継がれる。ロンド主題は第1主題 クラシック音楽評論を評論します。ちまたに溢れるCDガイド本。ヨーロッパローカルであるクラシック音楽をどう表現するのか?評論を評論していきます。ヴォーン・ウィリアムズ、交響曲第8番。初演から間もない56年、初期ステレオで録音されたものです。バルビローリ指揮のハレ管弦楽団。初演者にして、作曲者とも接点を持ち、20世紀、最後のシンフォニストの音楽をイギリスという地域的な視点ではなく世界交響曲的な視野で捉えています。併録は地域的な交響曲第2番。描写的な音楽として受け取られるのは本意ではないとした「ロンドン交響曲」の名を冠したものです。作曲者の言葉とは異なり、イギリスを背景にした風景を想定するのは間違いではありません。第2交響曲は57年録音で、こちらもステレオで収録されています。すでに交響曲の世紀ではない20世紀。第1交響曲は合唱の導入があり、第7交響曲は映画音楽「南極のスコット」の翻案。極地での過酷な環境、スコット隊の悲劇の描写なども基となっています。85歳と長命を保ち、ベートーヴェンと同様、9曲でとじていくシンフォニストの第8交響曲は、バルビローリの演奏で26分と少し。小型で擬古典的な要素が際立つ作品です。楽曲を構成する4つの楽章は、ファンタジア(主題のない変奏曲)、行進曲風スケルツォ、カヴァティーナ、トッカータと既存の楽曲の形式をとっていながら、交響曲の定型とは異なるものとなっています。終楽章の多くの打楽器の活用など編成も特異なものです。管楽器のみの第2楽章、弦楽器のみの第3楽章。器楽交響曲で作品が小型という外観が擬古典な印象を与えるものですが、作品の根幹には複雑なものがあるわけです。シンフォニストの系譜としても、ヴォーン・ウィリアムズ作品は概観をなぞりにくいものです。複雑な様相を描く長大なマーラーの交響曲にさえ、共通のトーンがありました。15曲の交響曲、やはり多様なショスタコーヴィチ作品も特徴は捉えやすい。バルビローリは生まれこそロンドンでしたが、父はイタリア系、母はフランスでした。イギリス音楽のスペシャリストでもあり、イギリス音楽の体現者でもあり、第8交響曲もバルビローリに献呈されています。作曲者との接点。たとえば作曲者はゴングの使用を、「トゥーランドットに使われるもの」と指定しています。器楽形式として、各楽章の編成にこだわった作品。それはイギリスという地にあっても、世界交響的なところに収まる。演奏技術的なところも問われる作品です。作品の小型が、オーケストラ・ビルダーとしても知られたバルビローリの巧みによって、堅固な構築で為されています。人気ブログランキングロッシーニのスターバト・マーテル。ムーティ指揮のフィオレンティーノ・マッジオ・ムジカーレ管弦楽団。81年録音。「悲しみの聖母はたたずめり」。タイトルのスターバト・マーテルは冒頭のStabat mater dolorosaに由来します。キリストが磔刑に処された際の聖母マリアの悲しみは、聖者でなくても思いは深い。子の死を間近に為す術なく悲しみに打ちのめされるのです。生年わずか26歳で没したペルゴレージはオペラ・ブッファの分野を確立しました。その生涯、最後の作品もスターバト・マーテル(1726年)でした。100年以上を隔ててのロッシーニの作品が生まれたのが1837年。ペルゴレージ作品も、教会音楽としてはギャラントなスタイルを持つものとして批判されることがありました。ペルゴレージ作品は当時有名であったA.スカルラッティ作品(1724年)を念頭に依頼されています。はるかのちのロマンの時代のブッファの伝統の継承者ロッシーニ作品も宗教楽でありながら、歌劇を思わす瞬間も多い。そのため、歌手の比重も高くなり、教会を離れ劇場的な効果を発揮するものです。ムーティ盤ではマルフィターノ、バルツァ、ギャンビル、ハウエル、歌劇録音に匹敵する歌手が並びます。ロッシーニとしては厳粛な書法で、こうした音楽にも対応できることを示すものです。1829年のウィリアム・テルが書かれ、36年には音楽界からも引退。作品は隠遁のうちに生まれました。裁判を抱え、健康状態も思わしくなかった時期。パトロンの一人からの作曲依頼で、依頼の12章のうちの6章に対応したものでした。3章を当時の作曲家タドリーニが書き、初演。その後、タドリーニの章に加え、終章のamenもロッシーニが加筆。現在の形として完成。ドニゼッティの指揮で演奏され、当時の人々にも強い印象を与えるものとなりました。現在に至るまで夥しい数の作品を生み出したスターバト・マーテルに名を連ね、その厳粛さで真摯なロッシーニ。歌劇引退後も、作品の完成、音楽的なものの実現には心血を注ぐものとして存在感を示しています。ペルゴレージ作品の飛びぬけた知名度と、たくさんの音盤のあとですが、フリッチャイ、ケルテス、ジュリーニ、ミュンフンほか録音の点数もそれなりにあり、歌手の成否も大きなポイントとなり得るもの。動画はムーティの別音源ですが、録音年もほどなく、全曲を確認できます。冒頭の真摯な情感は、テキストにも多く依拠しています。音楽の生まれる源泉となったのも、宗教的背景です。この場面に付した音楽には対位法的な書法をもいれた劇場人ロッシーニの練達を確認できます。人気ブログランキングシャンドス。89年録音。父、ヤルヴィによるシェーンベルク編曲のブラームス、ピアノ四重奏曲第1番の管弦楽版です。ピアノの影に埋もれる弦楽パート。シェーンベルクは全てのパートを聞こえることを企図して、1~3楽章はブラームスの交響曲的に響くところが随所にあります。一転、ロマの音楽、原曲でもピアノが活躍する第4楽章では、シェーンベルクの語法での音楽が展開。筆致の違いが確認できます。珍しい部類の曲ですが、あえてとりあげる者も多い編曲です。すでに息子ヤルヴィも録音しています。父子でこの曲をロマンに寄せるか、新音楽への道程のうちに据えるかをたどれる珍しい例なのです。当盤はルッブラ編による「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」を併録。シェーンベルクはマーラーもみとめた後進であり、ワーグナー以降の音楽の流れから、無調、十二音音楽といった語法を開拓しました。一方、ブラームスの偽古典的な様式のうちにも素材を切り詰めた新しい音楽の流れをみていました。浄夜は、トリスタンを書いたインク云々と評されましたが、ブラームスの弦楽六重奏曲のメタ・ロマンの延長にあります。マーラーもブラームス、若き日の弦楽六重奏についての言及があり作品を認めていました。ヘンデル変奏曲は、ワーグナーの面前でブラームスが演奏。この作品もワーグナーはすぐれた技法を認めていました。ブラームスも歌劇を書くために題材を探すことを怠りませんでしたし、ワーグナー作品の上演に足を運び研究に余念がありませんでした。対立的な構造ではなく、同時代同根のものをもっていた。シェーンベルクにおいて、それらが統合されるのです。編曲は、1~3楽章ではシェーンベルクの言葉通り、全てのパートを聞こえるように移されていきます。4楽章はピアノ的な書法を、マレット楽器を含めた打楽器の活用で、ブラームス的な音楽とは異質なものでした。シェーンベルク作品と並べてこの曲を演奏する際、前者には多くの特殊楽器が混入されます。ブラームス編も同傾向にあります。ある種の職人でもあったシェーンベルクは様式の模倣だけではなく、ブラームスが交響曲で用いることのなかった打楽器をも活用。原曲は若き日のものですが、第4交響曲以降のありえたかもしれない管弦楽と、用法と作品の後期ロマン的な情緒が混交されます。ヤルヴィ(父)の音楽的情緒も後期ロマンに置き、豊かな広がりをもっています。小さくまとまることも多いブラームスの交響曲。シェーンベルクの編曲演奏にあっても、それは同じなのですが、濃厚なロマンをたたえたものとなっていて、難解で鳴らしたシェーンベルクをあまり感じさせない。ブラームスの新たな交響曲発見といった面持ちです。4楽章も違和感なく流れていきます。人気ブログランキング59年録音。ワルターのシューベルト、交響曲第8(9)番、通称、「ザ・グレイト」です。ベートーヴェンの交響曲では偶数番号、とくに第6交響曲の評価が高い。ベートーヴェンの交響曲では、ほかにも第2、4交響曲の緩徐楽章のロマン的な表現も忘れれられないものです。シューベルトはベートーヴェンと時代を接し、同時にロマンへと大きく踏み込んだ作曲家です。そこには器楽形式の高峰であった交響曲を、有機的な構成から、楽想を展開させるシューマンのいう「天国的な長さ」へと導いたのでした。シューベルトの同時代人からは演奏不能と黙殺された交響曲は、同じように長大な構想を持つロマンの交響曲、ブルックナーといった作曲家へと道を拓くことになりました。もし、「未完成交響曲」が完成していたとすると、楽章のバランスからすると、「ザ・グレート」の長大さを超える作品になっていたでしょう。旋律主題はシューベルトらしいもので、実態は「未完成交響曲」よりは素朴で、古典的な形骸を保っています。シューマンのいう「天国的な長さ」はジャン・パウルの小説になぞらえてのものでしたが、マーラーの「巨人」ほどにも、文学的な要素はありません。ザ・グレートも同じハ長調の第6番に比しての大きい方といった意味合いで「偉大」とは関係はありません。それでも、後続への影響はまさに偉大な作品となったのでした。その古典とロマンの境界はさまざまな演奏スタイルを投影します。古くフルトヴェングラーは音のドラマとして。序奏を伴う第1楽章。その序奏も楽章の素材の一部を為し、これだけでもシューマン、メンデルスゾーンに連なるホルン2本のユニゾンによる大胆な開始です。ここから主部へと移行するときに、指揮者の芸風がとらえやすい。吉田秀和『世界の指揮者』ベームについて同曲をとりあげていました。リハーサルの映像「地方弁でガミガミ」で細部を指摘するベーム。それでも音楽が見事に変わっていくというのです。音楽を形から解くベームのシューベルト交響曲全集をはじめ、ドレスデンとのものなど、曲の把握もわかりやすい。演奏はさまざまなスタイルを許容するのです。ワルターのものは、渡米。アメリカのすぐれた技術によって晩年の録音が良好なステレオで残されました。大病を経て、リハーサルの時間も制限された環境。その「未完成」の夢見る表情が、「ザ・グレート」でも大きく拡大しています。そのブルックナー、マーラーにあっても過度な表情が避けられ金管の強奏にあっても柔らかい表情が保たれる。主題もよく歌うのは、そのマーラー演奏と同様です。明瞭なだけではなく、ほの暗さもたたえた陰影。長大さは、時に苦痛の長さとも成り得るもの。ワルターも過度な表情を避けながらも、指揮者主導の音楽づくりを確認することができます。ホールの音響、人間的な響き、その美質の多くを見出せるものです。人気ブログランキング60年録音。指揮者を置き、モダン管弦楽で重厚に奏でられたバッハ。クレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団。ブランデンブルク協奏曲です。30年代のブッシュ、50年代のヴェンツィンガー、ミュンヒンガー、リステンパルト、ミュンシュといった録音に続くものでした。この時点で、小型の室内管弦楽によるものもあり、ソリストをいれて演奏する形態のものがありました。曲は6曲。合奏協奏曲集ですが、実質上のチェンバロのための協奏曲第5番をはじめ、各曲の編成も異なります。大きい編成の順番に並べられ、第1番はほかと異なり四つの楽章から成ります。特異な形態は、まとめて演奏されることを想定はしていなかったものでしょう。辺境伯への献呈は、さまざまな編成にも対応できる作曲能力を示すことにありました。ケーテンの宮廷の楽団は小編成で、すぐれた奏者がいました。室内管弦楽団も、バロックの曲を演奏する形態などにも対応できるように特化したものでした。クレンペラーも、大作、マタイ受難曲、ロ短調ミサといった演奏と同じフィルハーモニア管ですが、編成はしぼられています。それでも悠揚としたテンポで堂々と鳴らされるスタイルは現在、絶えて久しいものとなってしまいました。テンポは遅くても、バッハの音楽としての歩みで進みます。それは厚塗りというよりも、深い響きで、愉悦といったところからは遠くても、奥行きは広い。バッハの音楽の本質をとらえていて、管楽器の重なりは、原題的な美学でも美しいと思える瞬間が幾つもあります。同じモダンであってもカラヤンやマゼールの壮麗とは異なります。指揮者を置いた前時代のものですが、全曲を並べての共通のトーンがあります。リアリストでもあったクレンペラーの音楽は時間軸に沿って、音を即物的に配置するところに音楽性があるのですが、現代の耳には、古楽以上に人間的な響きに聞こえてきます。編成の違いは、メニューイン、パウムガルトナー、カザルスといった音楽祭などのイベント的なあつまりから編まれることもあります。重厚に鳴らされる既存の大管弦楽から小さく編まれたクレンペラーともなると、個々の曲ではなく全体を俯瞰するのです。巨匠時代、バッハを演奏する、それもブランデンブルク協奏曲を全曲とりあげることは限られたものでした。クレンペラーの録音は膨大で、そこにはマーラーをはじめとした近現代の作品をも含みます。マーラー、ブルックナーもまた限られた音楽家の音楽でした。バッハにまとまった録音があるのも、クレンペラーらしい。バロック的なものをもいれた折衷型。第5番など、縦横に活躍するチェンバロといった面持ちからは遠いのが残念ですが、こちらは時代楽器であっても音量のバランスは難しいところ。全体の中に組み込まれ、威容が印象に残るのです。フルート、ヴァイオリンをはじめ、チェンバロだけを主役としていない点から、この三者のバランスにも留意されています。失われた演奏様式ですが、感覚はモダンで新しい。人間的な響きは心地よいものです。人気ブログランキング88~89年録音。モーツァルトのコジ・ファン・トゥッテ。マリナー、アカデミー室内管弦楽団のモーツァルト歌劇のシリーズの一環です。カリタ・マッティラ、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、フランシスコ・アライサ、トーマス・アレン、ジョセ・ヴァン・ダム。恋人取り換え劇は、二組のカップルに老獪な哲学者ドン・アルフォンソに、人は心変わりし得るという真実を突き付けられます。巧緻を凝らした物語は、終幕、一応の和解で終了しますが、この真実を知ったあとでの胸中は複雑なものでしょう。先鋭な内容なので、真面目なベートーヴェンは許すことができず、ワーグナーは音楽においても駄作とみなしました。モーツァルトの歌劇として評価が見直されたのは20世紀に入ってのことなのです。その作品の新しさは、舞台を現代に移した現代演出であってもまったく違和感がありません。才人、ポネルはアーノンクールとの映像制作に、白を基調とした全体に、ほろ苦いものを加えました。そもそも、最後の和解は、恋人たちの思いを寄せる相手はどうなっているのだろう。演出家がこれをハッピーエンドとするか、悲劇とするかで大いに異なります。体裁はブッファの伝統に沿ったものなのですが、例の「軽さが沈み、重さが浮かぶ」ものとなっています。もともとモーツァルトの歌劇はアンサンブルが多いのですが、コジ・ファン・トゥッテは、その傾向が強いものです。ベームが得意とし、音盤の二つはどちらも甲乙つけがたいものです。ムーティがカラヤンからのザルツブルク音楽祭でのコジを任せようという逸話。ムーティの念頭にあったのもベーム翁の演奏の成果でした。モーツァルトの歌劇もまた多面的なもので、ベームについてはコジ・ファン・トゥッテ、フィガロ、後宮をあげる人はいても、ドン・ジョヴァンニをあげる人はあまりいません。より小型になっているのはマリナーの演奏です。そのフィガロの結婚と、ロッシーニの「セビリャの理髪師」といった演奏での同様の、きびきとした律動。重さをはかるものではなく機知でつむがれる作品に真価を発揮します。明瞭で影は少ない。それでも歌手は揃い、モダンで現代的な演奏は、音楽的なセンスに満たされています。人気ブログランキング92年録音。エストマン&ドロットニングホルム宮廷劇場によるモーツァルト、オペラシリーズから「魔笛」全曲です。バーバラ・ボニー、スミ・ジョーの女声に、カート・ストレイト、ジル・カシュマイユ、クリスティン・シグムンドソンの男声。特に女声陣がすばらしく、古楽器によるモーツァルト、小編成できびきびとしたテンポで進める見通しのよい展開となっています。オワゾリール、オペラシリーズ四作で、「魔笛」が3作と異なるのは、宮廷劇場から民衆のための劇場へと移行していった過程にある作品だということです。シリーズ中、やはりボニーを起用した「ドン・ジョヴァンニ」もまた小編成で展開していました。当時の宮廷歌劇場の編成も今日の編成よりはるかに小型で、楽器の性能も異なるものです。モーツァルトのデモーニッシュな表現、地獄墜ちという劇的な場面があり、濃厚な悲劇を感じさせるものですが、作品はあくまでもドラマ・ジョコーソ、地獄墜ちのあとにも音楽は続き、喜劇として終わるのです。宮廷歌劇もまた上演される場によって版が変わり、上演上の都合によって対応されるものでした。「魔笛」は民衆喜劇という色彩が濃くなっています。ここにフリーメイソン的な秘儀を盛り込み、音楽的には女声の最高域から、男声の低域の対比させるといった構造を見せる作品です。モーツァルトの深さをもどこまでもはかれる作品です。そのためビーチャム、あるいはトスカニーニといった30年代の録音から、巨匠時代、近年の録音まで数多の録音が制作されてきました。音盤としては地のセリフの量や、起用される歌手にも注目があたるものでしょう。劇中のパパゲーノに象徴されるように、愛されてきたキャラクターは劇の神聖からは逸脱した怪人物です。民衆劇らしく、聖なるもの、俗性、さまざまなものを取り込み、人間的なものとして昇華したことが作品の特性です。一部、自筆譜に記載がないという理由で3番にあたる部分がないためカットとして聞こえたり、聞き馴れてきたものとは違和感を醸す部分もあるかもしれません。一方、率直ではなく厚塗りの演奏も多いモーツァルト歌劇。この素の姿の素朴さもまたモーツァルトの神聖を確認できるものです。モダンの紡いできた演奏様式。古楽もまたすでに多くのスタイルをもっています。棚に魔笛ばかり並ぶのは不健全で、やはり往年のものに手が伸びるのですが、芝居小屋で演奏される小ささに着目すれば、この盤の真価もみえてきそうです。人気ブログランキング50年代後半の録音。フィッシャー=ディースカウのバリトン、デムスのピアノによるブラームスの連作歌曲集「マゲローネのロマンス」です。ザルツブルクでのリヒテルとの共演、後年のバレンボイムとの間に制作された歌曲の大部の集成の原点ともいえるもので、若きフィッシャー=ディースカウの良さが生かされた一枚です。作品は連作歌曲集としての一貫性にかけ歌詞を追いかけていったとしても全体像がつかめない作品です。1861年に着手され、69年に完結した。足掛け8年を要した作品は、婚約者としてみなされていたアガーテとの別れの59年、ワーグナーとの対立構造となったヨアヒムらとの新ドイツ派への宣言文が出た60年。ブラームスの評価を最初に決定づけたドイツレクイエムが完成した68年といった出来事がありました。ブラームスはティークの小説『美しきマゲローネとプロヴァンスのペーター伯爵との不思議な恋物語}に収められた詩に曲を付したもので、この物語をよく知っているという前提が曲の理解に必要なのです。物語は19世紀ドイツ、広く読まれていたものでブラームスも幼少より親しんでいたものでした。15編の詩は、物語の進行から生まれたもので、ヒロイン、マゲローネの歌は1曲、ペーター伯爵に思いを寄せる娘の歌といった具合に、歌詞だけで全体像を捉えられるようにはなっていません。そのため、内容理解の補填に梗概を朗読する場合があります。この朗読も定型があるわけではなく、盤によって異なるものとなっています。ブラームスのリートはシューベルト的な民謡の語法を受けた作品を特徴としています。詩は有節のものが多く選ばれ、音域も限られたものが多くなっています。作品を作曲した作者の名が忘れられても歌われることを是としたのでした。マゲローネのロマンスは、詩の選ばれ方からも、こうした定型ではなく自由な詩文であり、そこにロマン的な情感が満ちた作品となりました。ブラームスの時代にはじめてシューベルトの「美しき水車小屋の娘」の全曲が演奏会で取り上げられるようになり、ロマンのリートが根付いていくのです。フィッシャー=ディースカウの声だけではなく、ピアノも単なる伴奏ではありません。そこにはシューベルト的な世界から一歩踏み出し、バス声部、内声、変奏的な語法などを入れて多義的なものとしています。フィッシャー=ディースカウに学んだシュミットがデムスのピアノのもと同曲を歌い、詩に付した表現という特性を生かします。ブラームスの時代も、バリトンを想定していたのでした。人気ブログランキング76年。テルデックに残されたアルバン・ベルク四重奏団のモーツァルト、第21~23番から成るプロシャ王セット3曲の録音です。89~90年EMIへの再録音に比べて線が細く、鋭角的ですが、情緒に拠らない精度の高さがあるモーツァルト。作曲家ベルクの名を冠したベルク作品や、ブラームスなどとともに、再録音においても旧盤が古びてこないものの一つです。通称、ハイドンセット、第14~19番の6曲はハイドンの「ロシア四重奏曲」から影響を受けて作曲されました。ロシア四重奏曲は6曲から成っています。一曲いっきょくは独立していますが、6曲をまとまったセットとして考えアイデアを盛り込んだものでした。モーツァルトのハイドン・セットもそうした6曲をセットとする慣例にならい短調作品の配置や、全体の構成を熟考したものでした。終曲が不協和音と呼ばれ、混沌からはじまり平明なハ長調のアレグロ・モルトに収束していくのは、古典としての分野の統合のような強いものを感じるものです。モーツァルトにしては長い時間がかけられ、ハイドンの面前で直接披露もされています。その音楽的実質を求めた作風には同時代人の人はほとんどついてくることができませんでした。ハイドンがモーツァルトの天才を認めたように、音楽家など理解は一部にとどまったのは、ハイドンをモデルとし、その形から大きく逸脱する一般聴衆にはハイブロウな内容だったからです。後続するプロシャ王セットの3曲は、モーツァルトの内的要因ではありません。真偽は定かではないもののプロシャ王の名を冠するように、注文という機会があり、その要望に職人的に応えた作品です。チェロの活躍といったものは、「アリアを歌手に見合ったように仕立てる」とさえしていたモーツァルトらしく、依頼主の肖像をもとどめるものでしょう。チェロを含めた楽器の活躍をモーツァルト後年の特徴として指摘する向きもあります。アルバン・ベルク四重奏団は、ウィーン主日のメンバーによって構成され、その情緒的展開と、20世紀音楽にも及ぶ演奏の精度を目指してきました。テルデック盤は、鋭利なものですが、録音の精度も高く、アナログ期、この盤を含めたものにも強い印象を受けたものでした。後年のものとの比較ゆえに情緒の多少を云々してしまう嫌いはあります。ウィーン由来の、もっと緩い幾つもの演奏にあって、この期の怜悧な感触も捨てがたいのです。人気ブログランキング現在では広く聞かれるようになったニールセンの交響曲。全集についても多く制作されています。かつてはニールセンといえば第4交響曲のことを指しました。不滅と付された帯は重厚で、内容も重厚で堅固なもの。「運命」「悲愴」といった帯に付されたものと印象が直結するようなものだったのです。実際のタイトル Det Uudslukkelige は「不滅」ではなく「滅ぼし得ざるもの」。今日では、原題がとりあげられることの方が稀なものとなりました。バーンスタインの「不滅」が録音されたのも70年と、このニールセンといえば「不滅」といった時代の録音です。多調生が採用され、調性は起債されていない。作品も1916年と、すでに20世紀音楽です。表現主義の時代にあって交響曲という分野は終息しつつありました。作品はベートーヴェンに連なる器楽形式の最大のもの、鳴り響く形式としての交響曲の典型といったものとなっています。プラトンの示したイデアは「真の姿」や「原型」を語源としていますが、ニールセン作品もまた交響的分野の典型的な作品なのです。20世紀音楽は、交響曲にもさまざまなものを持ち込むようになりました。自ら作曲も為したバーンスタインの場合は、声楽や、ピアノなどの導入です。長大な演奏時間、編成といったものに対して、多調ということから、急進的な書法にかかわらず保守的な内容として響きます。デンマークとう中欧にあっては辺境にある地。フィンランドのシベリウスもまたそうでしたが、器楽形式としての交響的なものとして、作品構造が追求されました。遅れてきた地としてロマン的なものをも多分に残しています。ニールセンは洗練を嫌い、「不滅」もまた抽象的な楽音だけが表現できる抽象的な音楽です。バーンスタインは黎明期からのニールセンの伝道師でした。シベリウスも全集としてとりあげることも珍しかった時代にとりあげ、ニールセンの交響曲も4曲録音しています。NYPの寒い国の作品、シベリウスの交響曲第2番、ショスタコーヴィチの交響曲第5番などと並び、この期のバーンスタインは熱情がありながら、全体は引き締まったストイックなものをもっています。たとえば、シベリウスの第2交響曲の後年の濃厚な色彩の録音とは対照的です。バルビローリ、マルケヴィチ、マルティノンといった「不滅」「の時代から、ブロムシュテット、ヤルヴィ父、息子の二代の全集へと移ると、バーンスタインの熱さは特異なものですが、これこそがバーンスタイン。多くの目をニールセンに向けることとなった契機となった共感の深さはすぐに理解されます。人気ブログランキング84年録音。ブラームスのピアノ五重奏曲。プレヴィンのピアノ、ウィーン・ムジークフェライン四重奏団。協奏曲にあっても重厚で交響的な響きを持ち込んだブラームスは、室内楽でも堅固な響きを好んだ作曲家でした。特にピアノを用いた室内楽には真価を発揮したところです。弦楽四重奏、五重奏、六重奏とクラリネット五重奏曲をのぞくと、多くの作品にピアノが導入されています。ヴァイオリン、チェロ、クラリネット(ヴィオラ)のソナタ、ピアノ、ホルン、クラリネットの三重奏曲、ピアノ四重奏、そしてピアノ五重奏という具合です。ピアノの響きはロマン派らしく、大きくなりつつあった響きの拡大に見合ったものでした。ピアノはブラームス自身の楽器でしたし、楽器の性能を生かしながらアンサンブルに参加することもできました。ピアノ五重奏曲は現在の形になるまでに紆余曲折を経た作品です。弦楽五重奏として構想され、二台のピアノ版を経て、現在の形へとまとまっていきます。若き日の作品であり、弦楽器の書法に充実したものを乱せなかった時期。序奏をともなった楽章があるのも初期作品のいくつかにみられる特徴です。構図としてはピアノに加えて、弦楽四重奏という形で、この曲にも多くの録音があります。それでも分野として見た場合には作品は多くはありません。ブラームス自身も四重奏、三重奏の3曲といったように、弦を減らした編成に向かう傾向がありました。弦を減らすのは、弦楽器の書法が単調なものになりやすく、活躍の場を見出すためのものでした。録音ではポリーニ、R.ゼルキン、ルービンシュタイン、グルダなど数多ある多くの録音のほとんどが、堂々とした押し出しのもと、弦楽四重奏と対峙しています。プレヴィンのものもこうした例に漏れないものですが、プレヴィンのアンサンブル・ピアニストとしての立脚点がわかりやすく提示されています。ジャズにはじまり、プレヴィンはいわゆるクラシックの外の世界から踏み込んでいった音楽家です。ジャズのピアノ・トリオといったものでは、それぞれの自発性が尊重され、同時にバランスが保たれるもの。アンサンブルのうちに自発が即興ともなっています。楽音が音符となっているクラシック作品にあっても、ピアノだけが主役ではない弦の書法にも留意されたアンサンブル全体が配慮されているものです。結果、ウィーン・ムジークフェラインのウィーン情緒が発散され、主張がある一方、バランスにも留意されたピアノが展開します。堅固な演奏の中にあって緩やかな抒情は、この曲の演奏には異例のものですが、海獣ではないブラームス、アンサンブルの在り方に強い示唆を与えてくれます。人気ブログランキンググールドのハイドン、モーツァルトをまとめたアルバムです。ハイドンのソナタは変ホ長調XVI49、モーツァルト作は第10番、幻想曲とフーガ ハ長調を収録。若きグールド、58年の演奏。デジタル期の80~81年にかけて第56、58、59、60、61、62番の6曲が録音されました。後年のものはグールドにとってデジタル最初の録音で、全集まで発展させる企図があったというもの。録音する曲目の選択については一種の自由を獲得していたグールドでしたが、この企画実現のためにレーベルを離れることをも検討していたといいます。58年盤はモノラルで、バッハにはじまりゴールドベルク変奏曲といった大作を最初期と最後期に並べたように、若き日の古典に、ハイドンとモーツァルトがあがっていることが興味深い。ゴールドベルク変奏曲同様、再録音には慎重な態度をとっていたグールド。モーツァルトのソナタも全集として完結させた音源は65~74年制作のものです。58年はまだ64年のコンサート・ドロップアウト前。57年のソビエト連邦をはじめ、コンサートピアニストとして活躍していた時期にあたります。早くから、実演での違和感を訴え、早期の引退を表明していたグールドが実演での煌めきを発散させていたのです。モーツァルトの音楽については、モーツァルト弾きであったリリー・クラウスの「あれだけの才能を持っているのだから普通に弾けばよいのに」はここにもあてはまるものです。「演奏を苦痛」とさえしならがらも全集制作にまで至った。58年の、そのプロトタイプともいえる制作は、全集を企図さえせず、ハイドン作品と並べられました。モーツァルト作品もバッハと同様、対位法的転回のあるフーガをもいれています。全集には幻想曲の2曲を収録していたので、当盤の2曲の選はグールドの意思を反映したものでしょう。その乾いた音で展開される。協奏曲ではモーツァルト協奏曲は24番のハ短調をシェーンベルクの協奏曲と組み合わせていました。シェーンベルクには常に親近感を抱いていたグールドにとって、本人が苦痛とさえいったモーツァルトの音楽をあえて併せるのは、とりあげた作品が特別なものだったからです。モーツァルトは様式を摂取し、自身のものとして昇華させました。モーツァルトによって為されたバッハ作品の編曲や、フーガの類の習作は、その後の大きな作品へとつながるものでした。ハイドンへの本格的な興味を示したのは晩年です。58年盤は練りこまれた熟考というより刹那的。その代わりモーツァルト作品と違和感なく親和するものとなっています。速度感も独自のものですがグールドらしい個性に楽曲も新たな様相をみせています。人気ブログランキング70年代に録音されたプライのシューベルト、シラー歌曲集。シラーの詩に付した歌曲7曲をまとめたものです。ピアノはエンゲル。潜水者D.77、巡礼者D.794、アルプスの狩人D.588b、タルタルスの群れD.583、春に寄せてD.245、憧れD.636、希望D.637の7曲を収録しています。31歳で亡くなったシューベルトの短い生涯。ロマンの幕開けであったシューベルトの功績は、とくにリートに発揮されました。600を超える作品。それらの多くがロマン派の詩人たちの詩によって彩られたのです。ゲーテ、シラー、メーリケ、アイヒェンドルフといった詩人たち。シューベルトから大きく発展したドイツ芸術歌曲という分野は、後進にも大きな影響となり、これらの詩人の詩はその後も何度もとりあげられることになりました。一般に、ドイツ・リートは民謡調で小さなまとまりをもった分野です。一方で、ロマンの運動とは人間の主観に重きを置き、情緒の拡大が志向されました。たとえば器楽の分野では、その傾向が強くでることになります。古典主義の作品を合理的に構成しました。それは、編成から、主題、展開といったものにまで及ぶものです。ロマンは主題においても、合理的な構成になじむことを企図しませんでした。シューベルトは弦楽四重奏曲「死と乙女」、ピアノ五重奏曲「鱒」、さすらい人幻想曲といった作品において、自作の歌曲を変奏という形で活用しました。これらはソナタ形式の楽章以上に、シューベルトらしいものとなっています。ピアノ曲の分野でもソナタはしばし未完に終わり、即興曲集をはじめとした性格小品に真価を発揮しました。そうした情緒の拡大が、源泉である歌曲にも及んでいることを示すものとして、滅多にとりあげられることのない20分以上の大曲、潜水者があるのです。ロマンは民族主義といったものを目覚めさせました。それは、他とは違うという意識で、同じようにエキゾチシズム、オリエンタリズムは未知に向かうものも強く求められるようになります。潜水者が生まれた1813~15という時期は、コンヴィクトを退学したのは1813年です。シューベルトもまだ10代半ばの頃でした。早熟もまたロマンのキーワードの一つです。潜水者とは、王の求めに応じてうなる大渦の海中に飛び込み、そのうちに見たものを報告することでした。若き騎士は恐怖に耐え、それをやり遂げるのですが、王は杯を海中に投じて、再びこれをもってきたら娘との婚姻を許すという。再び挑戦は為され、騎士は再び戻ることはなかった。長大な詩は、海中という未踏の地の神秘を描き、そのうちに飛び込む勇気と、恐怖。劇的な展開をテキストのうちにもっています。語りを基調として、歌い手には集中が求められ、ピアノは荒れる海が表現され、ドイツ・リートが持っている旋律と伴奏形態。特に、民謡調とするには収まらないほどに、劇性をもった内容となっています。連作歌曲集の二つにはミュラーの詩が用いられました。のちに編集された白鳥の歌にもシラーの作品はとられていません。プライの歌唱も真摯で、ロマンを魅了したシラーの詩をまとめるというものも単なる企画ではありません。描かれた海のごとく深い内容。動画は当盤ではなく90年、別稿のD.111をあげたものです。Der Taucher, D. 111 - Franz Schubert Baritone - Hermann Prey Piano - Helmut Deutsch人気ブログランキング82年録音。陽性のモーツァルト。パールマンのヴァイオリンにレヴァイン指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の協奏曲第3、5番の録音です。ウィーン、ムジークフェラインザール。85年に残り3曲も録音され全集として完結しました。82年の当盤はパールマン、レヴァインとの初の共演となったものです。レヴァインはウィーンフィルとの間での交響曲全集は84~90年。パールマンはバレンボイムとの間にヴァイオリン・ソナタ集(16曲)を残していて、いずれもデジタル録音期、グラモフォンの91年の没後200年周辺の録音となったものでした。レヴァインはクリーヴランド管弦楽団、セルのアシスタントを70年までつとめてのち指揮者デビューを飾っています。ほどなく、歌劇の指揮でもデビューし、メトでの活躍。そこでのヴェルディ、ワーグナー、R.シュトラウスといった広範な曲目をとりあげることになるわけです。ザルツブルク音楽祭をはじめレヴァインの歌劇の根幹にもモーツァルトの音楽がありました。ピアノ奏者としても室内楽録音を残すなど、モダンで端正なモーツァルト像を残しています。アメリカの演奏家。その背景にはパールマン、レヴァインともにユダヤ系で、世界に広く伝播した一種の普遍性の獲得がありました。同じウィーン・フィルを背景にしたモーツァルト協奏曲に、クレーメル、アーノンクールの全集があります。カシュカシュアンのヴィオラを加えた協奏交響曲の録音が83年ですので、当盤の録音年とも前後します。クレーメルもまたユダヤ系ですが、ジュリアードで教育を受け、何より楽器の機能性、奏法についても合理的なものから為されたアメリカという地のものとは異なります。いずれも繊細な表情をもったモーツァルト。ヨーロッパ的な伝統という下地のクレーメル、アーノンクールに対し、モダンで大らかな表情をもったパールマンのものも広く聞かれるものでしょう。陰影には乏しいものですが、スターンをはじめアメリカ、スターン以後ではジュリアード系のヴァイオリニストたちには多くの個性とともに、共通の色調と技術の安定があります。感覚も颯爽と流れるモーツァルト。それはパールマンのヴァイオリン・ソナタ録音にも共通します。こちらもバレンボイムというユダヤ系コンビ。明瞭な線を描き、ピアノも雄弁なものでした。語り口は広く世界に浸透し、世界のどの地にあっても高い質を担保する。モーツァルトの音楽もそういうものですし、巧みに織り交ぜられた巧者の共演も音楽的なものです。人気ブログランキング91年録音。シノーポリ指揮のシュターツカペレ・ドレスデン。R.シュトラウス、英雄の生涯です。作曲者自身を英雄になぞらえ主題が提示され、伴侶はヴァイオリンの独奏で表現されます。こちらはフォーグラーのヴァイオリン。ドレスデン・ルカ教会にエンジニアにクラウス・ヒーマン。ドイツ・グラモフォンらしい音響です。デジタル期にあるのですが、多くの古きものを保っています。57年、ベームが振った英雄の生涯とは30年以上を隔てています。アナログ期のケンペのR.シュトラウスの集成や、84年のブロムシュテットなど、時代を経ても作曲者にも直接の縁があるオーケストラはいぶし銀とも評されるもの。これは2007年のルイジ指揮のものであっても確認されます。その歴史は古く、ヨーロッパ最古参の一つともなっています。低重心の重厚な音響。同曲をオーケストラを替えて再録音されたものなどでは同じ指揮者であっても質感の異なるものとなるのです。シノーポリの登場時、ルバート・コンダクターとあだ名されたのは独特のテンポ変化での演出です。特にヴェルディの初期歌劇をはじめ歌劇では真価を発揮しました。2001年に亡くなり、最後の歌劇録音ともなったのがナクソス島のアリアドネ。やはりシュターツカペレ・ドレスデンにR.シュトラウス作品とともにありました。辞退したため就任は果たされなかったもののベルリン・ドイツ・オペラ音楽監督の話もありました。このオーケストラにてヴェルディ、アイーダの公演中に亡くなります。90年のサロメの録音もベルリン・ドイツ・オペラ。ステューダーのサロメという強い個性のもとテンポの緩急演出を聴くことができます。英雄の生涯録音と近接するR.シュトラウス作品では異なるものがあり、ドレスデンの古色がシノーポリの奇矯を大きく伝統的スタイルに寄せているものです。カラヤンが得意とし、何度も立ち返った作品です。曲は今日のオーケストラにあっても難曲。こうした曲目を演奏しうることではフルトヴェングラー以上のものと評価されました。複数ある録音ではカラヤン流儀が貫かれていますが、レーベルや録音時期が分かれるためにメディアの変遷、音響の志向などを確認することができます。いずれもカラヤンという個人に大きく拠ったものです。シノーポリの音響もグラモフォン、作品の煌びやかな部分に対応したものですが、志向はもっと伝統的で渋いところを狙っています。心理学や、自身作曲もこなすシノーポリ。知の指揮者は、ドレスデンとともにあったとき細部を捉えながら、大きく作品を把握していました。作曲者の自演、メンゲルベルク、ベームといった作曲者と接点をもった演奏は、作品を単なるスペクタクルとしていないことにも留意すべきです。人気ブログランキング95年録音。シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」。アルバン・ベルク四重奏団団員に加え、ヘルトナーゲルのコントラバス、レオンスカヤのピアノによる演奏です。アルバン・ベルク四重奏団が共演者として選ぶことが多かったレオンスカヤ。ロマン派にはピアノを活用した室内楽が多く、シューマン、ブラームスをはじめ五重奏といった形で作品を残しています。それはピアノに加え、弦楽四重奏という編成のものでした。シューベルト作品はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという低域の響きが充実したものとなっていて特異な編成です。背景にはピアノの性能の向上がありました。特に音量は増大する傾向にあり、音楽の演奏される場も室内楽の原点となった邸宅から、より大きな場へと移っていくのです。ピアノは家庭への普及も進み、アマチュアの愛好家も生まれました。技巧をこらした技術披露の場と、音楽を享受し楽しむための家庭音楽という二つの場。シューベルトのこの作品は愛好家からの依頼で生まれ、身内で楽しむ目的の音楽であったため後者に属します。自作歌曲「鱒」から主題をとった変奏曲は自在でシューベルトの本領を発揮したものとなっています。歌曲での旋律にあたる部分もピアノが担うことがあり、弦楽器の活用をはじめ独自性溢れる内容です。ピアノに求められる水準も高いものですが、アンサンブルの中にはシューベルトの姿もあったでしょう。フンメルが同編成の作品を2曲残しています。特異な編成のため、単純にピアノ奏者と弦楽四重奏団という形にはなりません。この曲のために特に編まれた組み合わせとなることもあります。ピアニストが牽引する部分もあり、代表的な同曲の演奏の中にはブレンデル、リヒテル、R.ゼルキン、ギレリスといった名士が並び効果をあげています。レオンスカヤはアルバン・ベルク四重奏団との共演も多く、ひとえに弦楽器の響きを相殺しないバランスが留意されています。ウィーン的なものの体現。ウィーン出自の団員から構成され、ベルクの名を冠したように20世紀音楽をはじめとした音楽を精緻に演奏するアンサンブル。楽器活用の妙はピアノだけではなく、支える弦もまた全体を構成するものです。レオンスカヤのスタイルがこうした弦楽を生かしながら進むために、協奏的な部分ではない方面に音楽が進行。ロマン派の作曲家のピアノ、弦楽四重奏という形の編成がなかなか生まれなかったのは、編成に弦楽パートの活用がなおざりにされるというきらいがあったからでした。シューベルトの楽器活用の妙は、弦楽とのバランスにも及んでいて、曲の新たな魅力を引き出しているものです。牽引する個性ではない分、印象は薄くなりがちですが滅多にないバランスの一枚です。人気ブログランキングハリー・クリストファーズ、ザ・シックスティーンのバッハ、カンタータ集。カンタータ中の有名作品第147番「心と口と行いと命もて」を中心に、第50番「今や,われらの神の救いと力と」、第34番「おお永遠の炎,愛の泉」、さらにコラール・プレリュード「天にましますわれらの父よ」、「いと高きところにいます神にのみ栄光あれ」の2曲を収録しています。イギリス、カンタベリ大聖堂の聖歌隊員からはじまりオクスフォード大学モードリン・カレッジに学び、合唱経験をも積んだのち79年に混声合唱団を組織。シックスティーンは16人を意味し、曲によって編成を変えながらルネサンス、バロックから20世紀音楽まで幅広くとりあげます。アルトパートは女声とカウンターテノールとの併用。バロックもバッハ以上にヘンデルをとりあげるのもイギリス的です。ドイツの厳格な音響とは一線を画し、有名なコラール旋律も軽やかに奏されます。合唱指揮らしく軽やかで自然な表情。こうしたものは器楽パートよりも合唱が偏重されることが多いのですが、器楽も全体に寄り添い細やかな表情のものとなっています。90年録音。初来日もこのころでした。ルネサンス音楽を中核とした合唱隊は、バロックにあっても清澄なもの。モダンでは冒頭の合唱でのトランペットが威圧的な響きを奏でることがありました。主の母マリア訪問の祝日用という祝典用。バッハのカンタータにおけるトランペットもまた特別な役割のものです。当時の楽器は浪々と鳴る一方で音量のコントロールが求められる楽器でもありました。声を生かした音録りは、響きの配慮も図られています。バッハの本質はカンタータにある。レオンハルト、アーノンクールの最初期の全集録音から、時代楽器の考証に基づいた制作も行われるようになりました。かつてのリヒターの選集や、往年の指揮者たちによる演奏。やはりBWV147は名品だけにとりあげられる機会も多いものでした。シックスティーンの演奏が、かつての厚い響きにかわり軽やかさと自然。時に神秘のようなものをまとっているのも実践的です。モダンとの響きが大きく異なることを確認できるでしょう。ガーディナーのように体系的に取り組まないのは残念ですが、カンタータ集として、この1枚の印象は大きいものです。ルター派のカンタータから、ルネサンスに連なる声の重なりも聞こえてきます。ここからストラヴィンスキーなど20世紀音楽といったところにまでつながっていくのです。人気ブログランキング1937年録音。古い録音ですが、ディアベリ変奏曲演奏でいまだに光るものをもったシュナーベルのものです。協会録音方式、現在でいうクラウドファンディング的な手法での制作の一環でした。膨大なレコードの制作費。それを予約金で賄ったのです。資金が担保されることで、安定した録音環境が生まれました。資料的な価値だけではなく、演奏も至上のものであったこと。それが次の制作に結び付くものでした。こうして世界初のベートーヴェンのピアノソナタ全曲が制作されました。今日の制作が容易になった環境とは異なり、権威をもった奏者、作品を網羅する体力、多くのものが必要でした。「よき曲、よき演奏、よき録音」は現代以上に必定のものだったのです。レコードは高価なものであり、聴き手も細部に至るまで聞きこむものでした。ベートーヴェンではピアノ・ソナタと並び立つように、ディアベリ変奏曲が録音されました。より小型である変奏曲、エロイカ変奏曲、創作主題による6つの変奏曲は小品とともにまとめられました。全集には日本からの予約が殺到し盛況となりました。楽聖ベートーヴェンへの興味。文明開化から西欧文明が流入し、まず日本人はその総量に圧倒されました。内熟のうちに生まれた音楽の滋養を摂取する。ここに音楽の精神性や、生み出す意思の力を聞き取るようになります。奏者にも、音楽の奥にあるものをも表現する力を求められました。シュナーベルの抉りは深く、強く造形を感じさせるものとなっています。時代としては表現主義を生み出した20世紀。シュナーベルの作曲した作品は無調のものも含んでいます。演奏においては後期ロマン的な様式を残していた時代です。うちたてたものは文字通り聖典でした。あのグールドもシュナーベルを指標の一つに置いていました。ソナタと同等か、それ以上の比重をもった変奏曲。主題はよく知られているように、出版社をも営んでいたディアヴェリのワルツ。とるに足りないものでした。これを著名な作曲家たちに変奏曲をつくってもらうという企画です。ベートーヴェンは当初、興味を示していませんでしたが、結局、主題の原型をほとんどとどめないものを含む33もの変奏で織りなしました。ベートーヴェンは変奏の大家でしたが、曲としてはバッハのゴールドベルク変奏曲に連なる大作。それは演奏も録音も至難で、シュナーベル以降であっても、気軽にとりかかることのできないものとしてしまいました。ベートーヴェンの巨大な構想と破格。音化されることの意義は大きく、ここには厳粛なだけではなく、作品のうちに示したユーモアや抒情など様々な表情をとらえています。人気ブログランキング77年録音。プレヴィン指揮のロンドン交響楽団。メシアンのトゥーランがリラ交響曲です。20世紀音楽としては異例の壮観をほこる作品。梵語由来のタイトルが表現する内容は端的には愛です。トリスタン伝説をはじめ扱うものも官能的で、東洋由来のリズムの複雑からも織りなされています。10に及ぶ楽章に長大な演奏時間。作曲者は作品が正しく演奏されることに精魂を傾け、多くの録音に監修として参加。夫人のロリオもまたそうした啓蒙者の一人で当録音にも参加しています。もう一人スペシャリストのベロフも参加。複雑なリズムは鍵盤楽器に、多くの打楽器を活用。そして、この打楽器群にはティンパニが含まれていないことも特徴的です。電子楽器、電気的操作を経て響きを醸し出すオンド・マルトノといった特殊楽器。響きという点で唯一無二の個性を放つ作品です。すでに古典ともいえる同曲は多くの録音が制作されてきました。作曲者自身のものも含む詳細なアナリゼ。分析的精緻から、レンジを広くとった録音技術で詳細に展開される作品でもあります。プレヴィンの録音は77年というアナログ末期。当時としても優秀な録音で、それはSACDともなっても壮大さは揺るぎません。セリエリスムに至る音響は無調をはじめ楽器の用法は細微なものとなっています。細緻に捉えれば、どこまでも突き詰めていく余地を見出せるでしょう。一方、この方面での分析的な知の大きさは作品の音響的興味、官能をもまた相殺するのです。プレヴィンの演奏は偏に作品の官能の展開にすぐれ、音楽的把握が全編を一気に聞かせる語り口の良さを持っています。彫像、金管楽器の威圧する響きですらも官能的です。多くの打楽器の中で活用される音響。それは豊かな色彩をもっていて、オンド・マルトノの響きも、雰囲気喚起となります。こうした響きの志向と、感覚はフランス的なもの。分析と理論構築のドイツ音楽とは異なるものです。あまりにも巧みに展開するため、作品をBGMのように流れるきらいもあります。それは難解なものであっても明瞭に拓いてきたプレヴィンの持ち味でもあります。ジャズ出自、さらにハリウッドの映画音楽から、シリアスな作品の作曲までを手掛け、演奏ではブリテンをはじめ当代の作曲者をもうならせてきた流れを大切にする表現者としてのそれです。点描的に置かれる打楽器やピアノの中、息の長い旋律。すごいと思わせる演奏はあっても、作品の美しさを素直に引き出す巧者はなかなかいないのです。古くモーツァルトの「音楽は決して耳ざわりであってはならない。むしろ耳を満足させ楽しみを与えるつまり常に『音楽』でなくてはならない」。人気ブログランキングモリナーリ=プラデッリの十八番。ドニゼッティ、愛の妙薬の55年録音。フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団。ギューデンのアディーナ、ステファノのネモリーノ、カペッキのベルコーレ、コレナのドゥルカマーラ、マンデッリのジャンネッタ。ウィーン・フォルクスオーパーでデビューを飾り、クラウスのもとのオペレッタで歌った。ギューデンのアディーナがイタリア歌劇らしく聞こえない面はありますが、作品の牧歌性をとらえた名品の一つです。モリナーリ=プラデッリがオペラ指揮者として活躍する契機となった作品でした。66年録音のローマ歌劇場管弦楽団、フレーニ、ゲッダ、セレーニ、カペッキといった歌手を揃えた録音も知られます。ベルカントの復興からドニゼッティ作品も多く俎上にのぼるようになりました。70ほどある作品のうち実はとりあげられてきた作品は限られたものです。その中でも「ランメルモールのルチア」と並ぶ双璧が「愛の妙薬」です。ルチアの扱う政略結婚という悲劇、田園を舞台として愛の妙薬ならぬワインを媒介にして恋の成就となる喜劇とでは対照的。これが大量に生まれた作品の多様という特徴づけるものでした。愛の妙薬も、作曲に費やされたのは2週間ほどの短期間で生まれています。喜劇では連隊の娘、イタリア歌劇としても最後のブッファ、ドン・パスクゥワーレといった作品も並びます。時代的にはモーツァルトに連なるブッファは終息に向かいつつありました。今日浮上してくるドニゼッティ作品は悲劇的な題材を扱ったセリアが多いのです。愛の妙薬は愛された作品で古くから録音も多く、50年代のイタリア歌劇公演、タリアヴィーニのネモリーノも語り草。タリアヴィーニ、ステファノ、ゲッダ、パヴァロッティといったネモリーノ歌いに共通するのは陽性で、声は甘く、ネモリーノという役柄にも一致します。彼はトリスタンの悲劇性とは縁がなく、人の良さと純朴の見本。アディーナは、トリスタン中の惚れ薬の逸話も理解し、自身の美貌が与える効果も熟知。少し高慢です。55年録音ではステファーノがまず素晴らしく、この中ではギューデンの知も包み込んでいます。この牧歌性の中には、ギューデンのキャラクターも生かされ、歌唱自体の巧みも光るものです。歌手も4人が揃い、顔見世的な面もある作品。それは歌という技巧を駆使したサーカス的な妙技ではなく、終始、ほのぼのとして進行していきます。ワインの心地良い酔いにも似た作品。現実的な演出では作品の鄙びた良さが相殺される。今も昔も、牧歌性が尊ばれているのです。人気ブログランキング

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